2024年8月4日

子と遊びつつ、昼寝してる間に『バーナード・ウィリアムズの哲学』を読む。ヴァイブスの合う哲学者。いいタイミングで読めた。モノグラフをものしてくださった著者に感謝である。リチャード・ローティの思想ともつなげて考えてみたい。ローティを補完できそう。

自閉症児を推定できるAIモデルを作るという記事が話題になっていた。著者が悪意でやっていると疑いはしないが、技術の適用に関する手続き的にはもちろん、そもそもそれが用いられたらどうなるかに考えが及ばない点において、大きな欠陥のある記事であった。

強い語調で批判する発言ももちろん見られたが、自分のおすすめに出てくるのは、誤った「中立」を装うものばかりである。手続き的に問題があったのは確かだが、学習と試行錯誤に関するドキュメントとしてはよくできているというような。その認識のほうが問題である。

そもそも顔画像だけで自閉症児が適切に推定できるはずもなく、具体的な診断プロセスにおいて顔から得られる情報の解釈がボトルネックになることもない。すなわち、悪用されるに決まってるものが「技術的に」は適切であるかのように行われている。

なんにせよ議論が行われたことで、適切な認識が広がるのならば良いこともあるのかもしれない。それにしても「技術者倫理」とはなんなのだろうか。ことは「倫理」そのものに関わってくる。ウィリアムズ的な話柄である。もちろん、他山の石とすべきことでもある。