9月7日の日記一覧
2025年9月7日
枕が合わず、断続的な眠り。夜中に頭痛になりそうな感じがあったのでロキソニンを飲んだが、朝起きると首が張り切ってしまって、回避できなさそうな状況。そこまでひどくはならないかなと思ったが、時間が経つにつれて痛みが増してきた。
京都駅前で予約したレンタカーで、滋賀県立陶芸の森へ向かう。五条通のバイパスから山科を超えて大津方面へ向かう道は、これまでも何度か通ってきた道。走っているうちに思い出す。それにしてもけっこう遠い。京都市内から1時間半ぐらいかかった。美術館があるだけなのかと思っていたら、試験場とかアーティストレジデンスが行われている場所、産業館、公園などの複合施設で、山ひとつ丸ごと陶芸関連の施設が集積している大きな立地であった。
まずは陶芸館に出向いて、目的の展覧会「民藝から関係へーコミュニティデザインの視点からー」を観る。Kが、自分に取材して制作された出展作品をひとつ貸し出している。民藝をコミュニティにおける制作という観点から捉えた上で、前衛陶芸から現代の「関係性」を取り込んだアート実践へと陶芸をつないで語るストーリー。ニコラ・ブリオーのいう「関係性」を厳密に適用するというよりは、もうちょっと広く、というか一般的な意味での「関係」という言葉の意味が強い筋書きで、やや雑駁な感じはあったが、出展されている作品が面白い。
しかし、頭痛がだいぶ進んできてしんどすぎるので、しばらく車中で仮眠。1時間ほどうとうとしていたら、少しマシになってきたので、公園でリトルKと遊ぶ。さらにもう一度陶芸館に戻っていちから見直し。クレア・ビショップの書籍も参照されていたのでもうちょっと敵対的なモーメントも導入できるとよかったように思える。
京都市内へ戻る。帰りはナビが別の道を推薦してきたので、宇治から回る。狭い山道が続く。そういう道は、奄美大島の山道で慣れている。宇治川の貯水池が見られてよかった。宇治市内の川の流れもとても美しい。指定されたガソリンスタンドによったらものすごく混んでいて入れずどうしたものか困ったが、少し離れたところで無事補給でき車を返す。
新幹線で帰る。リトルKがわーわーいっていて、後ろの席の女性に静かにするよういわれる。そういわれても静かになるわけもない。車中では、夕食をとる元気もなく、Kにまかせて寝ていたり、リトルKにご飯を食べさせたりして過ごす。
帰宅して、リトルKを風呂に入れたり、やなせたかしの絵本をリクエストに応じて3冊読み聞かせしたりして、寝かしつけ。散歩に出て、お茶しながら「月刊星ナビ2025年10月号」を読む。星見まどか氏の案内する天文系VTuberの特集目当て。猫谷ここな、月女神イチ、宙彩しろん、北白川かかぽの各氏が紹介されていた。いろんな人がいるものである。続けて、アマチュア無線関連の動画を観たりする。
2024年9月7日
京都へ移動。久々の阪急電車。河原町から宿まで歩く。途中、丸善でぶらぶらする。パッと目についた『現代フランスのエリート形成』を購入。宿で本を読んだり、少し昼寝したり。夜は、母、妹と夕食。近況についてあれこれと話す。その後、しばらく散歩したりする。
母親が京都に住んでいるので、出張のついでに寄ったのであった。実家を親のいる場所とするならば、いまそれは京都ということになる。子ができてから2度ほど親が東京に来てるので、前よりは会う機会が増えた。京都に行く機会はあまりないのだけど。
実家に帰るみたいなことが面倒だし、親も帰ってこいともいわないし、あまり必要性も感じていなかったので避けていたのだが、もはやそういう歳でもなかろうとも思う。なにかしら機会を作らないとなあという気はする。あまり実践はされないのだが。
小泉進次郎氏が総裁選出馬演説で、子供が生まれてから自分でも驚くほど変わったといっていた。自分は、驚くほど変わっていないと思う。フィクションであっても、子供がひどい目に遭うみたいなのをほとんど受け付けられなくなったという変化はあるけど。
親に対しても子に対しても、しかし情が薄いということはないようには思う。ただ、その発露のしかたが違うのかもしれない。一方で、それは自分の内心だけのことであって人にわかることではないのだから、外観的にわかるようあらためる必要も感じる。
2022年9月7日
今日は半年に1度の健康診断。いつもなら出かける間際に準備をしていたのだが、昨日でもろもろ終わらせて、今日は検尿だけとって出かけるだけ。やるべきことをその場ですぐにやるというのをいろんなことで徹底し始めたこともあり、そういう面でも効果が出ている。単純なことではあるのだが、そういうのもちゃんとできなかったからなあ。物事がうまく進むと楽なので、どんなことでもそんな感じでやっていこう。
待ち時間で、[[牧兼充]]『イノベーターのためのサイエンスとテクノロジーの経営学』を読む。サイエンスに基づくイノベーションに関する経営学について、論文を元に解説するというもの。定量データの読み方や、統計学的な問題や対処法についてもわかりやすく説明してくれる本。扱われている内容も面白い。しかし、紹介されているような社会科学の定量論文は、実験が難しいのもあってかなり無理矢理な工夫が多かったり、結果についても「で?」という気分になるものも多く、肩透かしな気もする。
以前は、健康診断後に出される食事は、病院で食べるのも辛気臭くて嫌だと思って食べずに帰っていたのだが、ふと気が乗って食べてみた時に、けっこういいものが出されていることを知って、それからはありがたくいただくようになった。しかし、量的に物足りない。コンビニでおにぎりを買って、追加で食べた。その後、帰宅してミーティングに出たり、転職活動をしているという方と[[Meety]]経由でおしゃべりしたり。
夕食をとりながら、「[[しげ旅]]」の[[トカラ列島]]シリーズの続き。今日は[[小宝島]]と[[悪石島]]。このチャンネルの動画を楽しくみていられるのは、しげさんがなんでもポジティブに受け入れて楽しんでいる感じが伝わりつつ、しかし無理にポジティブに振る舞っているのではなく、ごく自然にそうであるところが見ていて気持ちがよいためなんだろうと思う。以前にも書いた気がするが、そういう人間になりたいと思う。
少し散歩に出る。お茶しながら、[[YouTube]]で英語動画をあれこれ観る。今日は、[[MIT]]で[[コンピュータサイエンス]]を学んでいる学生の暮らしぶりについての動画等を観た。めちゃくちゃに勉強している。自分自身も学生もやっているのだから、プライベートの時間をもっと効率的に勉強や研究に使っていかないとなあと、あらためて思う。
帰宅した後は、論文の査読コメント対応の続き。昨日でひととおり書いたのだが、もう一度上から眺めて、文面を統一したり修正したりした。レビューをお願いできる段階に達したと思うので、明日は共著者に見てもらうようにしよう(指導教員の先生にも)。その後、次のテーマについても考えないとなあと思いつつ、期限を決めないと進まないので、参考文献の採択先や[[国際会議]]のリストを見直して、出すところを検討する。来年早々に出す感じで行きたいのだが、都合の良い締切の会議がないのだよなあ。
今日のブックマーク
- 150 分で学ぶ高校数学の基礎 - Speaker Deck
- Typing Land
- NFTチェーン、EthereumかPolygonどっちにする? 真面目にガス手数料を見積った話
- Stable Diffusion で prompt 情報を画像に保存しておく | tech - 氾濫原
- Service Mesh in 2022 - Speaker Deck
#日記 #9月7日
2021年9月7日
タスクがどんどん膨れ上がっていき、そろそろ破綻しそうな感じなので、ちゃんとタスクリストを作って、毎朝確認して今日やることを決めてから仕事を開始するという、当たり前のことをあらためてやることにした。そんなわけで、今日は直近でやるべきことをおおまかに書き出していって、そのうち今日やるべきことをざっくりカレンダーにスケジュールしていった。Effortlessでリストアップしといてポモドーロ的にやるというのもいいけど、それだといつやるかが明確でないので、カレンダー上で時間枠を確保する方がやれる気がする。
昼に、先日受験したTOEICの結果が出た。815点。3年ぶりに受けたのだが、その時の860点から45点も下がっていて、ショックを受ける。それで、どうしたものかなどと思っていたのだが、しかしまあ、英語力自体は上がっても下がってもないだろうし、集中力に欠けていたということもあろうから、それはそれとして受け止めて、もう少しいい点を取ろうと思うなら、それ用の勉強もするべきだよなあと思い直したりした。あと、3年も時間をあけたのがそもそもよくない。定期的に受験しないと。
夕食を食べながら、NHKの歌番組のなかにし礼と昭和歌謡特集を観る。美空ひばりの「終わりなき旅」の歌詞に「今また新しく 私は旅立つ」とあるが、すでに病の進行していた死の1年前にこういう歌詞を提供するなかにし礼の胆力と、それを歌いこなす歌手の凄み。美空ひばりは1937年生まれだから、今年84歳で生きていたっておかしくない年齢だ。しかし、そのような凄みは、2021年の状況においてはまったくスポイルされてしまう対象でしかなかっただろうと思うと、複雑な思いがする。
NeosVRに没入。今日は空オブジェクトにメッシュ、マテリアル、レンダラをくっつけて表示できるようにし、さらにLogiXで簡単な動きをつけるというチュートリアルをやった。3Dモデリングについてそもそも何も知らないので、そのあたりを知ることができてよかった。もう少しあれこれやってみたい気持ちもあるのだが、HMDでこめかみが圧迫されて痛くなるので、あまりやり過ぎないようにする。ちょっとずつできることを増やしていかねば。しかし、何かものを作るのをやりたいわけではあまりなくて、通信させて遊びたいので、早いとこそのあたりをやりたい。
NeosVRがめちゃくちゃ面白いこと自体はわかっているのだが、しかし、全体像がまったくわからないままに膨大な情報を目の前にどこから進めたものかという感じで呆然としていて、まさに初学者という感じがある。何がわからないのかがわからないというところからのスタート。こういうのは久しぶりだよなあ(そして、久しぶりということは、本質的な学習をしていないのだろうとも思えた)。このストレスフルな感覚から、どこまでいけるだろうか。幸い、色々教えてくださる方々がたくさんいて、ありがたい。
2020年9月7日
朝はCTO協会の3ヶ月に一度の理事会。その後、グループの幹部会があり、その後は面談したりミーティングしたりなどなど。そのまま夜まで仕事をした後、一昨日ぐらいから読み始めた小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている』の続きを30分ほど読み、夕食にメカジキの醤油バターソテーを作って食べた後、共著論文第2稿のレビュー。んでもって「ソフトウェア設計論」の宿題をやっていたら1時半をまわっている。もうちょっと集中して詰め込める感じもする。パシパシ物事を進めていかねば。
2019年9月7日
新潟市立美術館で開催中の「きたれ、バウハウス ーアート/デザインの原点ー」を観るのと、柏木博さんのレクチャーを聴くために新幹線で新潟へ。バタバタして「駅弁屋 祭」には寄れなかったが、小さい方の駅弁屋で鶏肉のものと「賛否両論」のものとを買って食べる。
柏木博さんのレクチャーは、西洋のギリシャ以来、あるいはキリスト教以来の「普遍性=ユニバーサリスム」が、バウハウスにもまた流れ込んでいるというのを、「バウハウス宣言」の挿絵として使われた版画に描かれるカテドラル表れていることを指摘する。さらには、セリフを廃したユニバーサルタイプ、および、屋根を廃するユニバーサルアーキテクチャにおけるセリフや屋根こそが、地域性=非・普遍性なのであり、それらを廃するバウハウスは普遍性の思想なのだという。とても面白い。
その後、展覧会を眺めて回る。ほとんどの展示物がミサワホームの持ち物で、すごい。世界中でバウハウスの回顧展が行われているタイミングで、ほぼひとつの企業の持ち物によってこれだけの規模の展示ができるのは素晴らしいと感じる。特に、後半はややモノの展示としてはさすがに弱いところはあるため、教育機関としてのバウハウスにフォーカスした前半がよかったように思う。
夕食は、古町をずーっと歩いて「寿司安」へ。新潟の魚を使った江戸前鮨。美味しい。よいんじゃないか。今日は日帰りなので、新潟といえば日本ぶどうの父・川上善兵衛だよね、ということで、岩の原葡萄園のワインを飲みつつ新幹線で帰る。ワインのお供は『須賀敦子全集 第2巻 (河出文庫)』。
2018年9月7日
今週はだいぶ疲れたなー。終業後は、社内のものづくりイベントをちょっと見たり。
2017年9月7日
社のイベントをのぞいたり、コード書いたり。
2016年9月7日
メディテーションを15分ほど(時間はからなかったので適当)。
帰宅して、散歩へ。普通のスニーカーで歩きまわっていたら、足の裏にまめができてしまったので、ランニング用のシューズを買った。淡島通りを西へ。太子堂あたりまでいったあとに三茶方面に折れ、緑道を通って買える。緑道、初めて歩いたけど、いい感じだなあ。今度は明るい時に歩きたい。
帰宅して、ANARCHYの『痛みの作文』を読む。2008年に出たこの本を、ちょうど京都に引っ越したぐらいの頃に、三条河原町のMEDIA SHOPという書店で手に取ったのを思い出す。その時は、南の方に向島って団地のあるところがあって、怖いんだなーぐらいに思っただけで読まなかったが、8年経ってからいまは日本語ラップにはまっていて、あらためて読むことになるとは、と思い、面白い。
そういや一昨日あたりから個人的なプロジェクト(技術的なものではない)を始めたので、ちゃんと継続したい。
2015年9月7日
朝のメディテーション、20分ほど。いつも通りな感じ。
会社で大きな開示があって、社長を始めとするみなさんはすごいなあと思うなど。自分も、比肩できるようなことをするように精進しないとなあ。
帰宅して、カレーを作成した。なんか上にキノコとナスをたくさんのせすぎてカレーが見えないけど、カレーである。
GitHubにおいてあるライブラリにpull requestがきていたので、久々にOSS業をする。だいぶ放置していたので、そもそも最新の事情がわからなくてあれこれ見て回ったり。常日頃からやってないと、どんどん置いて行かれるなあ。
『難解な本を読む技術』を読む。ここでいう難解な本というのは、哲学や現代思想系の本なわけだけれども、確かにそれぐらい精読する必要があるのだろうなあと思いつつ、まあそんな時間は取れなかろうので、さらさら流し読み。しかし、数はたくさん読んでも、メモ取ったりしないのでどんどん忘れていくし、ちゃんとするべきなのだろうなあとも思うけど。
本を読む目的によるとは思うけど、僕の場合、知識そのものを正確に記憶するというよりは、考え方を知るということの方が大事なので、個別の内容を憶えるのに時間をかけるぐらいなら、たくさんの本に目を通したいという気持ちがある。そのことで、自分の考え方が知らず知らずによりよくなっていくだろうと思うし、まあ、自分ひとりものを考える分には、出典が必要なわけでもあるまいから、それでいいようにも思う。
ビールを飲んでいたら本を読むのがつらくなってきたので、ぽちぽちコードを打ち込んで遊ぶ。